誰かを想って、言葉を選ぶ日
恋文について考える夜
こんばんは、あおです。
ノートでも投稿しましたが、
明日5月23日は「恋文の日」だそうです。
皆さんは誰かにラブレターを送ったこと、受け取ったことはありますか?
僕は一度だけ受け取ったことがあります。
そして返信する形で、送ったこともあります。
今思えば、
好きって言葉はどこにもなかったかもしれません。
でも、
お互いの字、温度、空気感、不器用さは
伝わったんじゃないかなと思っています。
こんなことがあった、
こんな気持ちになった、
実はこんな過去があった。
ただ気持ちを伝えるだけではなくて、
自分を知ってもらう、二人でこっそり分かち合う、
これもその人を想ったラブレターなのかなって思います。
たとえ手紙であっても、
好きな人とだったらそれはもう恋文なのかなと。
最近は、
好きな人への気持ちも、
画面をタップすれば届いてしまうような時代ですよね。
既読がついて、
数秒後には返事が来ることもあります。
便利で、速くて、
たしかにそれはそれで温かいと思います。
だけど僕は、
ときどき「ラブレター」という文化に、
少しだけ憧れてしまうのかもしれません。
便箋を選んだり、
書き出しを悩んだり、
字が変になってしまったら書き直したり。
たった数枚のために、
何時間もかけてしまう不器用さもあると思います。
でもその時間は、
その人だけを想う時間であって、
たぶん好きという感情というかもっと曖昧なものが、
ゆっくりと浮かび上がる、
そんな時間や余白なのだと思います。
ラブレターには(手紙全般ですね)、
送る人の癖が出ると思っています。
文字の強さ、インクの感じ、言葉の選択。
綺麗な文章じゃなくても、
その人がそこにいたことだけは、
確かに伝わるものです。
だから読み返したとき、
内容よりも先に、
その人の温度を思い出すのかもしれないと思いました。
「恋文の日」という響きは少し照れくさいです。
でも、
一年に一日くらいは、
誰かを想って言葉を選ぶ日があってもいい気がします。
上手く書けなくてもいいし、
送らなくてもいいとさえ思います。
ただ、
僕の中にある大切に想っているという気持ちを、
静かに見つめ直す時間は、案外悪くないのかなって思います。
ラブレターとは、
誰かに読ませるためだけのものではなくて、
自分が誰を好きだったのかを、
忘れないために書くものなのかもしれないですね。
(あとがき)
Substackで書いている僕の記事も、「なんだか手紙みたいかも」と思ったり思わなかったり。
いぬいあお
「まだ途中のまま」を書いています。
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今の時代に手紙を送り合うのはなかなかレアな体験ですが、substackはそれに近い感覚があるような気がしますね💌✨
あおさんの記事を見て、『第二ボタンください✨』の青春を思い出しました。
20数年前、中学や高校の卒業式の帰りには、好きな人の『第二ボタン』をもらう習慣がありました。恐らく、「実らない告白」。
でも、女の子は勇気を振り絞って、ボタンをもらいにいくんです。行かないと、取られてしまうから。
今は、言葉にして想いを伝えることが少ないと聞きます。スマホで完結している恋。寂しぃなぁって思うと同時に、懐かしい気持ちになりました🍀♡
※ちなみに、当時、彼女がいたのですが、ボタンを欲しいと言われたので、年下の女の子に渡したら、その彼女さんからめちゃくちゃ怒られました。